貸し農園を借りてもらっているロブさんに貸してもらった本に、
��950年代の大原の写真が載っていました。
��0年前の写真ですが、今とは少し違うような
素朴な風景が写っていました。
このような茅葺きの屋根の残っている家は、
ずいぶん少ないです。
どこの道でしょうか。
舗装されていませんが、割と広い道です。
素朴な家並みが美しいです。
��0年前の写真ですから、
この写真のモデルさんはまだ生きていらっしゃるかもしれませんね。
屋根を吹き替えているのか、稲藁を積んでいるのか、おじいさん。
本の表紙にもなっている写真です。
他にも、1950年代の京都の写真がたくさん載っていました。
この本は、イタリアの研究者グループが著作しています。
写真はフォスコマライニさんという方が撮られたようです。
こんなにも美しい京都の町並みは、ベニスやフローレンスといった都市にも
匹敵する世界的な遺産だからぜひとも美しいままで残してほしいという内容で、
1995年、出版されました。
折しも、京都ホテル(現ホテルオークラ京都)や京都駅ビルの建築で、
その是非を巡って京都が揺れているときでした。
京都市長と、新聞各社に充てて懸命な判断をするようにとの声明を発表しています。
大胆ですね。
ホテルや駅ビルの建築に対して海外からこのような声明が出ていたなんて、
全く知りませんでした。
京都の価値って、京都に住んでいる私たちだけのものじゃないのかもしれない。
京都に対して必死で、その美しさや保存すべきという立場を表明する
この本を読んでいると、ふとそんな風に思いました。
そして、大原も同じく。
大原の美しさは、大原に住んでいる人だけのためのものではないのかも知れません。
もちろん、観光を目的に訪れてこられる方のためだけでもありません。
わたしはたまたま大原に来て、住み始めましたが、
大原の美しさや自然環境や気候、風土、歴史は私たちだけのものではないのかもしれません。
もっと、遠い未来にも大原を必要とする人々がきっといるのだということを考えながら、
ここに住んでいきたいと思いました。
『Kyoto in the Fifties as Seen by Fosco Maraini』
1995年 イタリア国立東方学研究所発行